創業物語
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こんにちは。ハリファックスサポートセンター代表の水谷です。

個人的な話が多くなってしまい恐縮ですが、ハリファックスサポートセンターを創業するまでの ちょっとした歴史をまとめてみました。

この物語は私が高校を卒業した頃から始まります。

それは、ちょうどその頃から私の人生にも色んなことがあり、 今の自分につながっている気がするからです。 

カナダでのワーキングホリデー、語学留学も含めて、いまの活動の原点が ここにあるように思います。

長文になりますが、お付き合い頂ければ幸いです。


ちょっとその前に・・・
私は1976年、愛知県名古屋市南区に生まれました。
父親は小さな会社を経営する設計士、母親は企業で働く栄養士でした。

小学校に入り、高校2年生までは、庶民的な一般中流家庭。 3人兄弟の次男坊で自由気ままに育ってきました。

スポーツ大好き、勉強苦手な野球少年。 それでも朝早くから夜遅くまで働く父親を見ながら、 自分も「大きくなったら社長さんになりたい!」 なんて思っていました。 そんな平々凡々な人生に変化が起きたのは・・・

県立高校卒業後、型枠大工として県内の建築現場で働く

高校2年生の時、バブル崩壊に伴い、父親が経営していた会社が倒産!

受験勉強どころではなくなり大学進学を断念、働く道を選ぶ。

なんとか高校を卒業後、兄貴の友達の紹介で大工の親方に会う。

親方は奄美大島出身の職人気質丸出しの中日ドラゴンズファン。
面接というか、居酒屋に呼び出されて初めて会う。

一番最初の質問は・・・

「お前、中日ファン?」
「そうです」と答えると・・・

「はいオーケー! 採用!」

その後、居酒屋で夜中まで飲んでいた。
というより話を聞きながらうなづいていたと言ったほうが正しいかも。

面接の時は高校生だったのに(苦笑) 大工の朝は早い。
朝6時には起きて現場に向かう、真夏の仕事はとても大変だった。

建築現場というのはもちろん、未完成の建物なので、日差しが強い。

暑い、暑い、暑い。乗馬ズボンにタビはいて、毎日材料かついで現場の中で働いてました。

肉体的にはきつかったけど仕事は楽しかったです。
若造ながらも、大工という仕事から学んだのは・・・

『仕事は一生懸命やるもの』
『何事も段取りが大事』 ということ。


これは後に企業で働いたときにもとても役にたった。

でもこの頃は大学にいけなかった自分に対するコンプレックスで いっぱいだった気がするなぁ。
まわりの友達はみんな大学や予備校へ行っていた。。。